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2007年9月 5日 (水)

1977年

1976年は数度の出張がある程度で、とりたてて言うような旅行は無かったが、1977年には初めてヨーロッパへ渡った。

1977年4月22日出国、5月11日入国になっているが、この旅行はまだ新婚1年ちょいと言う事で、新婚旅行のやり直しみたいな物。この頃の会社は太っ腹だったんだ~、全部会社の経費で行かせてくれた。経費節約の為?大韓航空でソウルにてトランジット。ロシア上空は飛べないので、アンカレッジで給油(その方が懐かしい景色が見られてありがたい)。フランスは花のパリ(多分ドゴール空港)にて乗り換えて、ドイツのハノーバーへ降り立った。そう、ハノバーメッセ見学に行ったんです。ところがいくら待ってもハノーバー空港で荷物が出てこない。どうやらパリで置き去りにされたらしい。聞くと、いや~大寒航空はよくあるんですよ...(-_-メ。 まあ今はそんな事も無いのでしょうが。ハノーバーでは民宿泊まりで、2・3日メッセを見、それからドイツ国内の会社訪問の旅に出た。

ハノーバーから一旦飛行機でフランクフルトまで飛び、そこでレンタカーを借りて自分で運転する。確かワーゲンポロという一番安い奴を借りた。展示会に出展していた会社を含めて4社ほど訪問したが、全てドイツ南部のバイエルン地方にあったので、観光も織り交ぜながらの楽しいドイツ旅行となった。多分30年経った今でも状況は変わらないと思うが、ドイツでの車の運転は非常に楽だ。他の国で運転した経験は、せいぜいアラスカ程度だけれども、左ハンドルの右側通行という点を除けば、何の心配も無く運転でくきる。標識はドイツ語で書かれているのだ、まあ地名を書いているだけなのでそう不便はない。この標識というのが実に良く出来ていて、目的地の地名に従って行けば間違いなく連れていってくれる。どこぞの国の標識みたいに、一旦出てきた標識に従って走っているのに、2度とその地名が出てこないなどという事は無かった。ただアウトバーンを走るときは、特に上り坂ではアクセルベタ踏みでも横をポルシェやベンツがガンガン追い越していく。ここでは、車のスピードは、運転手によって決まるのでは無く、乗っている車で決まるようだ。あの当時はオイルショックの後だから、いかにアウトバーンでも速度制限はあったと思うが、どうみてもあれは200km/h位出てるんじゃないかと思われた。

自分で運転しながら巡るバイエル地方は本当に楽しい。おまけに訪問する会社が有名は大学の町ハイデルベルグにあったり、展示会で見つけた会社なんぞは、フェーデルバッハなる田舎にあって、石の杯で飲む地ビールの美味い事、仕事に行ったやらそうで無いやら...。

結局は、昨今は日本から観光客が押し寄せているロマンチック街道なるものを、ローテンブルグからミュンヘン、さらにはガルミッシュパルテンキルヘンまで南下して、ドイツ最高峰のツークシュピッツェに登山電車で登ってきた。大きな都市以外では、ホテルに泊まる必要は無い。毎度宇沿いの民宿と言っても良いような、街道の小さなホテルに泊まれば十分だ。清潔で、居心地が良く、親切。

時間とお金があるから、何処へ行きたい...と聞かれれば、このドイツ南部がまず筆頭に思い浮かぶ。ここなら今でも自分で車を運転しながらローラー旅が出来そうな気がする。

さてさて考えてみると、今まで出張やパック旅行で海外に行った事は数え切れないくらいあるが、今まで書いたような印象に残る旅はこれ以降経験していないな~。まあ子供ができたという事が一番大きな理由だろうけど、その子供達も大きくなった今、この頃に負けないような旅を経験してみたいもんだ。先はもう残りすくないぞ...と思う今日この頃。

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