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2007年9月 4日 (火)

1975年

この1975年にはもう一つイベントがあった...

これもパスポートに日時を見ると、1975年7月25日出発で、8月19日帰国となっているが、アラスカに山登りに出かけた。私の生涯で、たった1度の海外遠征登山だ。アラスカ南東部のランゲル山群にある、リーガル峰(Mt.Regal)4212m。同志社大学山岳部によって初登頂されたこの山は、特に技術的に難しい所ではないが、同志社とは別ルートで、ナベスナ氷河という巨大な氷河から取り付いた。

最寄りの小さな飛行場から6人乗りの飛行機で一旦中継地まで飛び、そこから2人乗りの小さな飛行機に乗り込んで氷河末端のモレーンの上に降ろしてもらう。もちろん滑走路がある訳ではなく、この運ちゃんをブッシュパイロットと呼ぶそうだ。そこから氷河沿いに丸2日歩いてやっと取り付き点のベースキャンプに入る。ヒマラヤのようにポーターがいる訳ではないんので、荷物は全部自分達が担ぎ、道や地図がある訳ではないので、自分達でルートを捜す。(当たり前ですが...)

この辺りはなにしろグリズリーの多いところ。念の為にライフルは1丁持っているが、実際に出くわしたら逃げるしかない。幸い足跡やフン以外にはクマさんに出くわす事もなく、無事通過できたば、今思っても楽しいキャラバンだった。

登山自身はそれほど難しくは無かった。氷河から尾根に取り付く部分の懸垂氷河でザイル工作を必要とした程度で、尾根に出てからはひたすら長い雪稜を行く。最後のコルを過ぎて頂上へ取り付いた時に急にガスに巻かれてホワイトアウト。すぐ下を登ってくる後続隊の姿まで見えなくなり、急遽撤退。ちょっと慌てたのはこの時くらいか。先ほどのコルまで戻り、反対側の急斜面に回り込んで雪洞を掘ってビバーク。4000mのビバークは初めてだけど、正月の北アルプスの3000mビバークに比べると日照時間が長い分だけ助かる。うす暗くなるのは夜の10時位で、2時にはもう明るくなる。6月-7月なら本当に白夜が体験できるだろうけど、睡眠不足になってしまう。

翌朝はホワイトアウトが嘘のような快晴。さっさと全員(10人)登頂を果たしてその日のうちに無事ベースキャンプまで帰ってきた。と書くと淡々と歩いてきたようだが、実際はやはり頂上では大感激。おいおい泣き出すやつまで出てきた。いや~楽しかったですね。

帰りはまたまた氷河脇を2日かけて飛行機の着陸ポイントまで歩く。途中で、雪に覆われて見えない「ビドンクレバス」に落ちて、危うく...という場面もあったが、幸運にもザックが引っ掛かってセーフ。やはり山よりこういう平な所の方が気が緩んで危ない。当然ザイルでつながってはいるが、まともにクレバスに落ちれば無傷という訳にはいかない。

1日遅れで迎えの飛行機が来たときは嬉しかったな~。まあまさかここに取り残されることはないだろうが、悪天候で1日待たされただけに余計待ち遠しかった。

帰りは日数の許す分だけアラスカキャンプを楽しむべく、レンタカーで走り回ってきたが、全員真っ黒に日焼けしているので、だれも日本人だとは思ってくれない。そう言えばH氏なんて、その辺りにたむろしているエスキモーと全く同じ顔だ。考えてみると2週間以上も風呂に入ってないし、エスキモー氏より汚いことは確かだ。

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